日報(シーズン3)

圧倒的な他律で自律。阿鼻叫喚のシーズン3。

H28-04-26

民法 総則 択一

憲法 過去H18

刑訴 伝聞等まとめ

 

*らじお

記憶によると2008年の年末、くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンが最終回を迎えた。

主にポッドキャストで聞いていたのだが、相当はまっていた思い出がある。

それまでラジオを聴くことはなかったのだが、ラジオの面白さに気づいたきっかけである。

その後、ちょくちょくラジオを聴くようになった。

とはいえ、面白いラジオは大抵深夜なのでリアルタイムではなかなか聴けず、主にYOUTUBEで聞いていた。

そんな中、ラジオ好きの友人と出会い、その方が伊集院光のファンだった。

伊集院光の存在は知っていたが、テレビのクイズやタモリ倶楽部に時折出るイメージくらいしかなかった。いわゆる白伊集院しか知らなかった。

そして、その友人の影響で伊集院光のラジオを聴き始めた。当初は、一人で話し続けることや、構成作家の笑い声に違和感を感じた。しかし、いわゆる黒伊集院のクレイジーさと妙な誠実さが絶妙なバランスをなしているせいか、はまっていった。独特の一人語りの話芸は、数人の掛け合いトークとは異なる魅力がある。リスナー寄りの語りになるからだろうか。

先々週からTBSラジオ伊集院光の新番組が始まった。朝の帯番組なので、少し聞ける。ゲストがみうらじゅん圓楽や田中陽希と聞き逃せない人であることが多い。また、伊集院光が深夜とは異なるリスナー層にどのように対応するのか気になるところだったが、違和感がない。

時に、いつでもどこでも変わらない自分を貫くことが評価されがちである。しかし、実際は時と場所、人が異なる様々な状況において、自分というものの立ち振る舞いは変わる。それは表裏があるとか、世渡り上手とか、マイナスにとらえられがちなように思う。少なくとも、私のなかでどこかそういう意識があった。状況に応じて立ち振る舞いを変えることは当然のことであり、不誠実ではない。表面的な立ち振る舞いの奥にある核となる自分を偽らなければ、不誠実ということにはならない。むしろ、いつでもどこでも同じように振舞うという楽な道に逃げるな、とすら思う。

ラジオにおける黒伊集院と白伊集院の立ち振る舞いの変化を通じて、そんなことを感じ、勉強させてもらっている次第である。